ユーフォニアムの音は、ちょっと「眠い」ので、クールなジャズには向きません。でも、やりやうによってはベルから湿氣の多い音がよく出るので、バラードにはいいでせうね。基本的に男性ヴォーカルのスタンダードは、なかなか良いと思ひます。そんなものばかり聽かされると、お客は眠くて仕方ないでせうけれども。
吹奏樂の世界では、未だに、ノリとかタンギングとかで何とかなるやうに思ふ人がゐるやうですが、そんなものではどうにもなりません。必要なのはやはりジャズの「ソウル」ではないかと思へてなりません。タンギングもそこから自づと出てくるもので、ちょこざいなギミックでなんとかなると思ってゐることが、もうジャズから遠ざかってゐることを示してゐるやうに思はれます。
要するに、ジャズをまともに聽いたことのない人が、なんちゃってジャズで勝手に盛り上がらうとしてゐるに過ぎません。中には、そもそも吹奏樂自體が「なんちゃって」なんだ(素晴らしいものだといふ意味合ひのやうです)から、吹奏樂風のジャズで十分なんだ、なんてことを言ふ方もゐるのださうです。
さういふ「なんちゃって人間」は、普段から、なんちゃってフレンチとか、なんちゃってイタリアンにお金を払ってゐるのでせうかね。私は、「ウチの料理は、なんちゃってしか出さないよ。そもそも日本人なんだからなんちゃってでいいんだ」なんていふ店には行きたくないし、逆に趣味の料理を振る舞ふといふのなら、それこそ本物にこだはる氣概をもって貰ひたいものです。
私もジャズに詳しいわけではありませんが、ジャズといふのもやはり一つのスタイルを持った人間の表現ですから、自づと「畏怖」の心が湧いてきます。
「畏怖」を持つわけでもなく、都合良く「なんちゃって」を持ち出して好き勝手やってるのは、趣味の世界でも三流以下なのですが、現實にはかういふ人が他人にものを教へたくて仕方なかったりするので、困ったものです。

「Ready for Freddie (Freddie Hubbard)」ジャズファンの世界で、知らない人はゐないと言って良いやうなアルバムでせう。凄いメンツによる名盤なのですが、實はこのセッションにはユーフォニアムが入ってゐるのです。伴奏でロングトーンしてゐるのではありません。バリバリとソロを演奏してゐます。
どこのCDショップのジャズコーナーにも大抵あります。知らないジャズファンもゐません。しかし、ユーフォニアムが入ってゐるなんて、まづ知らないで聽いてゐます。でも、それでよいのです。ジャズが聽きたくて聽いてゐる人からすれば、ジャズが奏でられてゐればよいのであって、何の樂器でやってゐるかなど、どうでもいいことなのです。
一方、ユーフォニアム奏者は、まづこのアルバムを聽きません。ユーフォニアムが入ってゐるなんてことも知りませんし、もちろん誰が吹いてゐるかなど全く知りません。いや、知らないといふより、「知らうとすらしない」のです。
もっとも「ジャズは知らない」「興味がない」のなら、別に知らなくてもいいし、知らうとなどしなくてもいいのです。しかし、それでゐて他人には、「ユーフォでもジャズが出來る」と教へたがり、「ジャズの吹き方はノリとタンギングと…」などと教へたがるのです。教へたければ、學ばなくてはならないのに、それを怠ってゐるのだとすれば、それは恥づかしいことなのだと氣付かないといけません。