2013年11月26日

ついにADAMS のユーフォニアム入荷!

待望の ADAMS のユーフォニアムが入荷した。國内の樂器店で正式に販賣してゐるのは、當 PROJECT EUPHONIUM のみ。樂器については、販賣サイトをご覧頂くとして、このブログには、個人的な感想を記しておきたい。

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 販賣サイトはこちらまたはこちらです。

自分自身で試奏して、またプロ奏者の方々に試奏して頂いて、アマテュアのユーフォニアム奏者の樂器選びについて色々と考へさせられるところがあった。(以降アマテュアの話)

ユーフォニアムを購入する場合、「先生が選んだものを買ふ」といふのは別として、「ベッソンのこの音色」「ウィルソンのこの音色」といふ風に、まずは音色の好き嫌ひでブランドを選ぶケースが多いのではないとか思ふ。そこに「音程」「ダイナミクス」などのコントロール加減や、総合的な吹きやすさ(發音や音抜けなど)などを加味して最終決定していくやうに思ふ(そして、音色に特にこだはりがなければ、コントロールのしやすい「ヤマハ」を選擇する)。

ところが、ADAMS を吹いてゐると、ベッソンやウィルソンのやうな「ああ、この響きだ」といふものを感じない。それなのに響きに不満がない。間違ひなくユーフォニアムの「よい響き」がするのだ。

そして、レスポンスの良さに驚くはずだ。まづ、發音が早く、クリアだ。とかくこれまでのユーフォニアムは反應が鈍い。このためにほんの少し早くタイミングを取る癖がついてゐる人は、かなり動揺するのではないかと思ふ。

さらに、きちんと息を入れて、フィンガリングのタイミングさへ合ってゐれば、一つ一つの音が樂に鳴り、細かい音符や跳躍のフレーズもコントロールが可能だといふことがわかるはずだ。従來「これみよがし」にエアやリップをコントロールして、「吹けてゐるような感じ」にしてきた方は、今までの苦勞は一體何だったのかと思ふに至るだらう。音程やダイナミクスのコントロール、フレージングが思ひのままになっていく快感は、「豊かな音色主義」に拘泥せずに、「では何をどう表現するか」といふ新たな(しかし音樂として本質的な)欲求を生み出すに違ひない。

どうも私達はこれまでユーフォニアムの樂器としての機動的な問題點を、「豊かな音色」と引き替へにごまかしてきたやうな氣がしてならない。自分がやるにしろ、プロ奏者の演奏を聽くにしろ、速いフレーズがぎこちなかったとしても、跳躍が無理矢理に繋げられてゐたとしても、指をバタバタ動かし、吹き込んで無理に樂器を鳴らして、なんとなく凄いことをやってゐるやうな氣にさせれば(なれば)それでいいのじゃないかといふ、そんな甘えはなかっただらうか。

結果、「音楽を奏でる」のではなく「樂器を吹く」こと、「音樂を聽く」のではなく「音を聞く」ことばかりに一生懸命になって、丁度田舎者がブランド品で無理に着飾ったり、高いコスメでどぎつい化粧をしてゐるやうな、素材ばかりに目を向けてセンスを磨かないアマテュア・ユーフォニアム奏者(私も含め)を氾濫させたのではないかといふ危惧を抱いてゐる。

ADAMS の登場は、今までの「音色」の好みを基準にした樂器選擇、そして演奏を、根底から覆しうるユーフォニアムの誕生と言ってよいのではないかと思ふ。

私はどちらかといふとプロフェッショナル向けのインストゥルメントという印象を持ってゐた。しかし、「樂器を吹く」樂しみから「音樂を奏でる」樂しみを見いだしうる樂器であることに氣づいてからは、むしろ心あるアマテュアに大いに勧めたい樂器だといふ思ひがしてゐる。
 
Copyright(C) 2013 岡山(HIDEっち) (PROJECT EUPHONUM http://euphonium.biz/) All rights reserved. 文章・画像の無断転載厳禁 | Posted at Nov.26 02:44 | Comment(2) | TrackBack(0) | 楽器・メーカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これお勧めされたので、音源聞きました。
そこそこ良い感じですね。
しかし、スペックを見ましたら、ベルが大きかったです。
28cmで精一杯なので30以上あるのは息が足りなくなります。

Posted by Yoshiko at 2014年03月27日 22:01
あー、以前は私もそう思っていましたが、今は日本の迷信だと思っています。また、小さいベルだから鳴らし易く、大きいベルだから鳴らすのが大変と感じるのは、往々にして楽器を「吹き倒そう」とするプレーヤーに、よく誤解されるところです。

しかし、日本の常識、世界の非常識で、ベッソンでもスモールベルの楽器がチョイスされているのは、日本くらいなものです。欧米はもちろん、日本人と体格がほとんど変わらない他のアジアの国の人たちも、ほとんどがラージベルのモデルを使っています。これはどういうことでしょう。丁度良い機会なので、少し書いておきます。

これには一つ考えられる理由があって、B&Hのソヴェリン(現在のBE967)が日本に入ってきた時、ある有名な方が「これは体重が80kg以上ないと吹けない」とか仰ったそう(真偽不明ですが、よく聞きました)で、それで日本では今でもBE968の方が勧められているし、なんとなくBE968の方が吹き易いように思われ、そしてこれが転じて、「ラージベルの楽器は息が必要」と思われているのではないかと思います(あくまで私の想像ですが)。

しかし、楽器の響きや吹き心地というのは、ベルサイズだけで判断できるものでは決してありません。材質や厚みやテーパー、マウスパイプの形状や取り付け方、ボアサイズや管体のデザインなどが互いに大きく影響し合って、あるバランスを持った響きを作り出すのです。そのバランスを各メーカーは真剣に研究しているわけです。

ベッソンも、マウスパイプの取り付け方を変更した今では、BE967の全体のバランスの方が、BE968よりも良いように感じています。

しかし楽器の抵抗やバランスを味方につけるような、効率を考えた奏法ではなく、一昔前の「吹き倒す」ような奏法ですと、現代の楽器はベルサイズに関わらず恐らくどんどん息が入っていって、吹いても吹いても鳴っている感じがしないと思われることが往々にしてあるのではないかと思います。これはベルの大きさが問題なのではなく、奏者の思い込みと奏法に大きな問題があるように思います。

ですので、「ベルサイズが大きい」というだけで息が足りなくなると思い込んでしまうのは、かつてよりずっとバランスの良い楽器が作られている今の時代、実にもったいないことだと、つくづく思います。

もっとも好みというものはありますから、どの楽器を選ぶかは自分の好みでよいわけですが、我々中年世代も、そろそろこうした一昔前の思い込みから脱却しないと、音楽により深く関われるチャンスを逃してしまうようにも思います。
Posted by 岡山(HIDEっち) at 2014年03月27日 23:20
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