言葉なしに考へることはできない。従って、言葉が間違ってゐるといふことは、考へが間違ってゐるといふことになる。また、うまく言へないといふのは、うまく考へられてゐないといふことになる。
誰も彼もが學問をしたい方ばかりではないだらうが、もし、正しく考へたいと思ふなら、まづ言葉を疑ふことだ。自分の言葉をよく吟味することで、自身の考へは深まる。
つまり、自身の考へを述べるといふことは、それ以上に自分と向き合ふ時間を必要とする。もし、時間的にも、興味の範囲的にも限られた中でそれを行ふのは酷だと言はれたとすれば、誠にごもっともで、この點については、議論に付き合って頂いた方に、本當に恐縮し、また感謝してゐる。
しかし、ユーフォニアムでもテナーホーンでも、演奏してゐる方が少ない上に一般的な認知度が極めて低い樂器に、何の縁か長年携ってゐる者こそ、これらの樂器について、正しく知り、正しく語らうとしなければ、他に一體誰がこれらの樂器について正しく語ってくれるといふのだらうか。これまで、時間をかけて、じっくり研究し、お互ひにじっくり吟味して語るといふことが、殘念ながらほとんどなかったといふのが、我が國の現實ではないか。
「正しい」といふことを抽象化せず、知り、語りたいものである。それが、人生を少しは楽しいものにしてくれてゐる、これらの樂器への恩返しの一つではないかと思ってゐる。
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