2011年06月02日

なぜ誤った見解が知識として蔓延し、しかも正しい知識が受け入れにくくなってゐるのか

 管樂器や吹奏樂の歴史や知識において、未だに誤った見解がまかり通ってゐる理由といふのは、實は簡單なことで、今まで日本ではまともに研究がなされてゐなかったといふことこそ、最も大きな理由であらう。

 これまで雑誌の記事や圖鑑、吹奏樂の事典などに執筆したり、アドヴァイザーになってゐた方の多くが、主に演奏を生業としてゐる方や、吹奏樂コンクールに關ってきた方ばかりで、樂器學や音樂史を詳しく研究をされた方ではない。

 勿論、プロ奏者の言ってゐることや、吹奏樂コンクールのお偉いさんの記事など全部出鱈目でアテにならない、などと言ひたいのではない。しかし、演奏を生業とする方やコンクールの運營に携はってゐる方が、各國の文献を丹念にあたったり、比較検討を十分にするといふことはなかなか困難なやうで、よく調べてみると、記事が不正確であったり、不徹底であったり、自身の接してゐる現場に偏った見解(現場でまかり通ってゐること)であったりすることが多く見られたのだ。

 つまり、現場の情報に偏りすぎて、學問的に批判摂取された情報があまりにも少なかったのである。

 もう一つの大きな理由は、情報の受け手の問題だ。不正確な事柄、不徹底な見解、偏った解釋が、我が國の管樂器の世界にはウジャウジャ生まれたわけだが、そのやうなものであっても、一旦知識として定着してしまふと、自身で檢證し、不正確なものを捨て、正しい知識を受け入れるといふことは、思ひの外、困難なのだ。

 例へば円錐管系金管樂器をサクソルンと呼び慣れてしまってゐる人に、それは間違ひだと言っても、なかなか素直には受け入れてくれるものではないし、それなら本當はどうなのだらうと几帳面に自分で調べてみるといふ人も少ない。

 そればかりか、自分の頭で素直に考へる前に、これまでに得た他の色々な知識(これもきちんと檢證されたものとは限らないので、正確かどうかわからないやうな代物だったりするのだが)と自身の經驗とを總合して、既成の知識を弁護しようとしてしまふので、さらに厄介なのだ。

 自分の怪しい知識を、一旦ゼロに出來れば、もっと素直に理解出來ると思ふのだ。先のサクソルンにしても、素直に順を追って行くだけなのだから、決して難しい話ではない。

 難しいのは、自分の怪しい知識を一旦ゼロにして、素直に考へることだ。なぜなら、自分はちっとも怪しいなどとは思ってゐないからだ。

 今、内容が正確且つ詳細でお勸めできる國内の文献と言へば、佐伯茂樹氏の

 「カラー図解 楽器の歴史」
 「カラー図解 楽器から見る吹奏楽の世界」
 「カラー図解 楽器から見るオーケストラの世界」(河出書房新社)だ。
 http://www.kawade.co.jp/np/author/11157

 いづれも、本當のところを知りたいといふ方の道しるべになる、すばらしい文献だと思ふ。是非ご覧になって頂きたい。 そして、既成の知識に囚はれず、是非自身で檢證していただきたいのだ。
 
 また、子供向けに以下の書籍も出されてゐる。

 「知ってるようで知らない 管楽器おもしろ雑学事典」(ヤマハミュージックメディア)
 http://www.ymm.co.jp/p/detail.php?code=GTB01081715

 「楽器の図鑑 全5巻」(小峰書店)
 http://www.komineshoten.co.jp/search/result.php?author=%8D%B2%94%8C%96%CE%8E%F7

 これから樂器の知識を得ていく子供たちに、是非勸めていただきたい。そして、その前に是非ご自身で讀んでいただきたい。
 
Copyright(C) 2011 岡山(HIDEっち) (PROJECT EUPHONUM http://euphonium.biz/) All rights reserved. 文章・画像の無断転載厳禁 | Posted at Jun.02 09:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | ユーフォニアムの歴史と研究 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近ipad等で話題の電子書籍、なんでも映像、音源も掲載可能だそうです、すぐにとは言わないまでも文字、絵以外音(曲)が入ってくれるとより分かり易くなりそうです。
なにより楽器は音楽を形にする為に生まれてきたのですから。
今後特に作曲家の方に我々の楽器の有効な利用法を見いだして欲しいと願います。
Posted by mikio at 2011年06月06日 06:40
電子書籍も、使ひやうによっては、強力なツールとなると思ひます。

しかし、私がここで問ひたいのは、それを作る側(アドヴァイスする方も)がきちんと理解してゐなければ、さらなる誤解の元になるといふことです。

つまり、間違った記述の雑誌やら事典やら図鑑やらウェブサイトやらが溢れてゐる現状では、間違った記述のツールがひとつ増えるに過ぎないと思はれるのです。

もちろんそれでは、作曲家も有効な利用法を見出せないことになります。

正しく理解しようと努力し、それをきちんと伝へる努力をするといふこと、それなしにいくらツールが発達したところで、意味はないのです。
Posted by 岡山(HIDEっち) at 2011年06月06日 20:42
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