吹奏樂や金管アンサンブルの演奏會へ行って、うんざりするのが、所謂「ポップス」。この種の音樂が嫌いなのではない。嫌いなのは「自己流で何が惡いか」と言はんばかりの演奏だ。
ズンドコドラムに率ゐられながら、いい大人が「ハーディスコ!」とか奇妙なかけ声をかけ、あんな軽薄な曲を嬉々として演奏してゐるのは、私には實に奇妙なことに感じられる。どうせやるなら、その元になったであらう曲を、ちゃんと演奏してもらいたいものだ。
選曲もさることながら、曲のスタイルを顧みることない、無邪気な表現は、まともなラーメンも作れない(と言ふより作らうとしない)者が、ラーメンのスープにスパゲッティーを入れて、はいイタリアン・ラーメンだと言って客に食はせてゐるやうなものだ。
恐らく彼らは、樂器で音を出すことそのものを樂しんでゐる。そして「耳心地のよい曲を、一生懸命、樂しんで演奏すれば、聽いてゐる者も樂しんでくれるに違ひない」と思ひ込んでゐる。それは、子供なら、無邪氣といふことで、まだ許せる。聽いてる方も、ああここは學藝會會場なんだと、心を入れ替へればよい。
一方、アマテュアとは言へ、いい大人がいつまでもブラバン學藝會をやってゐるのは、どうも奇妙に思はれてならない。まさにジャイアンのリサイタルのやうだが、誰もが自分がジャイアンだなどとは思ってはゐないし、思ひたくもないであらう。
いや、アマテュアの余暇活動なのだから、別にそれでも一向に構はないのだ。しかし、もしジャイアンのリサイタルだと言はれて腹が立つとしたら、それは身の程知らずといふものだ。あるいは、ジャイアンではなく、本當は何か他のものでありたい、さう思ってゐるのではないだらうか?

c藤子プロ・小学館
さて、話を戻すが、所謂「ポップス」と呼ばれる音樂の演奏と同じく、行進曲の演奏も酷い。大體どの樂團の演奏も、「アメリカンマーチの軽薄ヴァージョン」にしか聽こえない。テンポが速い、軽い、浅い、後打ちが早くて氣が抜けてゐて弱い、音が短いと切れがよいと勘違ひしてゐる。あ、いやこれはウチの樂團も同じであることを痛感してゐる。
そこで、提案だ。J.フチックの「剣士の入場」といふ曲がある。これは、オーストリアハンガリー帝國時代の曲で、現チェコやオーストリアの行進曲として有名である。一方この曲は、「雷鳴と稲妻」といふ題名で、アメリカのサーカスバンドでも用ゐられ、有名になった。
この両者を、それぞれチェコ・オーストリアの行進曲として、そしてサーカスマーチとして、それぞれ演奏して貰ひたい。さて、貴方には出來るだらうか。
勿論、本場の譜面を使ったとか、樂器をロータリーだフロントベルだと變へみたといふだけでは、ほとんど變らないことは、目に見えてゐる。
やってみれば氣がつく。音樂の持つ何かを、いかに蔑ろにしてきたか、そして音樂について、いかに無知であったかが。
もっとも、やったにしろ、やらないにしろ、あれこれ理屈をつけて自己弁護したくなってしまふ人が格段に多いであらうことも、容易に想像がつく。實際、ほとんどの團體がさうなのだから。
いや、本當のところ、アマテュアなんかどうでもよい。日本のプロの吹奏樂團はこれが出來るのだらうかと問ふてみたい。
私がプロの演奏で聽きたいのは、そのやうな演奏なのだ。モーツァルトなら、これがモーツァルトです、といふ演奏を聽かせてほしいといふ、單純だが、果てしなく困難であらう仕事を期待してゐる。
「とりあえずやってみました」といふ演奏には、アマテュアのものは勿論、プロのものなら尚更、うんざりさせられるのだ。
Copyright(C) 2011 岡山(HIDEっち) (PROJECT EUPHONUM http://euphonium.biz/) All rights reserved. 文章・画像の無断転載厳禁 | Posted at Jun.24 01:57
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